| 御成街道(おなりかいどう) |
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| 『御成街道』は船橋と東金を結ぶ約36kmの道で、徳川家康の命令で佐倉藩主の土井利勝が沿道の農民を動員してつくったもの。慶長18年12月末から慶長19年正月初めまでの非常な短時日で完工しているため、「一夜街道」とも呼ばれている。家康が鷹狩りに来遊するための準備として作られたが、『御成り街道』の特徴は、何と言ってもほぼ直線で構成されていることにある。『御成り街道』を作るには、船橋と東金で狼煙を上げ、直線を見通しながら背の高い木に白布をつけて工事の目印としている。昼夜のない工事であり、夜間は提灯を木にかけて目印とした。道幅は3間(約5.5m)を基準とし、約4.7kmごとに8か所の一里塚が設けられた。 |
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| 家康公御手植え蜜柑(いえやすこうおてうえみかん) |
家康公と日善上人の像 |
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| 東金御殿(とうがねごてん) |
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徳川家康の東金御成の際の宿泊所として慶長18年に建てられた。同じ時期、御成街道沿いの船橋と土気にもそれぞれ船橋御殿、御茶屋御殿が建てられているが、東金御殿が最も大きく、敷地面積は2,211uに及んだ。家康が2回、秀忠が8回、家光が1回利用したとされる。寛文11年に解体され、建物の一部は大網白里町小西の正法寺や市内福俵の本竜寺などに移築された。御殿の敷地跡には現在県立東金高校が建っている。 |
| 八鶴湖(はっかくこ) |
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東金御殿からの眺望をよくするためにつくられた湖。竣工は慶長19年。地名から谷池(やついけ)と呼ばれていたのを、幕末の詩人・遠山雲如が「谷」に「八鶴」の佳字をあて、これが後に読み替えられて現在の呼称になった。当時はもっと池が大きくて丸かったので、鶴が羽を広げた姿にたとえたという説もある(弁天島を頭に見立てる。)雲如は中国の西湖に例え、「東金外郭小西湖」と詠んでいる。 |
| 杉並木(すぎなみき) |
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元和元年、徳川家康が東金御成の節、時の代官高室金兵衛に命じて日吉神社を再興させた。この杉並木はその折植樹されたといわれている。 |
| 求名(ぐみょう) |
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徳川家康が鷹狩に来遊した際、求名附近を通りかかったとき、家来に「このあたりはなんという場所か?」と聞いた。家来は知らなかったが、わからないともいえず、「名を求められたのだから『求名』ということにしよう」と、この名をでっちあげたという。 |
| ゆず羊羹(ゆずようかん) |
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慶長18年、徳川家康鴇が峰城跡に御殿を建立し、御成街道通称東金街道(東金〜船橋)をつくり翌19年正月此の地に初巡遊し、国音相通ずるところから東金御殿と称し、気候風土共に紀州と相似た此の地方に、柑橘を奨励し、自らも名勝八鶴湖畔本漸寺境内に蜜柑の木を植樹した。之が東金ゆずの始まりと云われる。 |